多拠点生活のマルチハビテーションの話は以前にも取り上げましたが、マルチ化の流れは住むところだけでなく広く個人の生活全般に広がっています。
わかりやすいところでは副業・兼業など働き方においても、多様な組織に同時に所属しながら働くスタイルが当たり前になりつつあります。かつての高度経済成長期の日本企業は、まさに「社員は家族」のように単一コミュニティ一色でした。寮生活や社宅を用意して、住むところに留まらず食事、社内結婚、年金と一生を企業のコミュニティの中だけで暮らしていける環境を用意していたことを考えても、戦後の日本がいかに企業コミュニティ中心の社会構造を築いてきたかがわかります。社会の仕組みとしても選挙の票や税金徴収までもが企業コミュニティ単位である方が政治的にも都合がよかったのでしょう。
しかし、人生100年時代に突入し、終身雇用制度の制度疲労も明らかになりつつある現在、今後は単一の企業コミュニティに属する人の方がむしろ特別で、同時に様々なコミュニティに属することの方が当たり前になるでしょう。それとともに個人個人のパーソナリティもどんどん多重化していく時代になるでしょう。すでに若い人の間ではインスタやTwitterのアカウントを複数使い分けるのが当たり前になっています。一人の自分ではなく、コミュニティに属する人に応じてキラキラした自分と毒を吐く自分の人格などを使い分けることも自然にできる人も増えてきている状況です。バーチャルユーチューバーなどでは男性が仮想CGやボイスチェンジャーなどですっかり美少女の人格に成りきってで楽しんでいることも珍しく無いようです。テクノロジーが仮想空間を介したコミュニケーションを容易にしたことで、より人格の仮想化も容易になっていると言えるでしょう。
このように個人が多様なコミュニティに所属するようになるとコミュニティ毎の人格はそれぞれ異なるものになることも多いでしょう。NPOでケチケチな活動をしている人が、趣味のコミュニティでは大消費王だったりすることもあるでしょう。つまり、消費性向や金銭感覚でさえも同じ人間でもコミュニティによって変化するということが言えます。実際、我々一人の人間の一日の中でさえ、それは起きています。ランチの時間の980円と1280円の差はとても気になります。しかし、同じ人がその日の夜の飲み会では1000円と1800円のものを特に意識せず次々と頼んでしまうことも多いはずです。いつどこで誰と一緒にいるかというその状況次第でも価値観は毎日変化しているのです。ケチケチな友人同士の時と憧れの好きな女子の前では同じ男子でも金銭感覚はまるで変わるものです。
我々がマーケティングを考える時、最近はあるセグメントに属する代表的な人のペルソナを思い浮かべ、その人の心理的な変化をベースにカスタマージャーニーを考えることが多いです。しかし、もはや一人の人が常に同じ人格を持っていると考えるよりは、どのようなコミュニティに属しているのか、そしてその時に置かれている状況はどんなものなのかによって変化するものだという前提で考えていくことが大事かもしれません。テクノロジーはその人の置かれた状況を把握する力も獲得しています。毎日単調な生活をしている人がよりエモーショナルに感情が変化するコミュニティに属することになれば自社の顧客になる可能性がぐっと高まるとしたら、大事なのはそのコミュニティに属している状況でのその人のIDです。
しかし、現実には多くのサービスが一人の人間をひとつのIDとしているため混乱が起きがちです。昼間Amazonで仕事の書籍を探していて、休日は子供に見せる映画を探している人のIDはぐちゃぐちゃなリコメンドになることは多くの人が経験している問題です。歌舞伎町の範囲にいる時だけ限定のIDでキャバクラのリコメンドして欲しい殿方もいるでしょう。人格毎にしっかりとIDマネジメントを複雑にならないで提供するようなサービスも今後は求められるでしょう。ひとつの可能性としては情報銀行のようなサービスにしっかりと自分の複数の人格を登録して管理するようになるのかもしれません。ようやくパーソナライズとかマスマーケティングからの進化が見えつつある中で、さらに一人の人間の中の複数の人格に対してのマーケティングは事業者側からは大変かもしれませんが、生活者の進化の方がより早く進む現代ではもう考えるべき時期に来ているのかも知れません。